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web墨滴

こちらは立教大学書道研究会presents Web墨滴です。

あっという間の夏休み

月刊・篤志

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どうも皆さんこんにちは、細谷です。

「月刊・篤志」、4ヶ月ぶりの投稿となります。

毎月10日に更新すると言っていたにも拘わらず、ずっとサボっておりました(情けない…)。

どうせ誰も見ていないしいいか…と思っていたのですが、思いのほか(もちろんごく少数ですが)更新を待ち望んでくださる方々がいらっしゃいまして、(重い腰を上げつつも)「休刊」を解くこととしました。

といっても書くネタがないんですよね…どうしましょう。とりあえず夏休みの話でもしておきますかね。

僕は、家族旅行は10年以上行っていないくらいのインドアな人間なんですが、今年の夏休みはなんと3回も遠出をしまして、これは人生でも初めての経験となりました。

8月中旬から下旬の短期間に、「ゼミ合宿」、「書研夏合宿」、「京都一人旅」をしてきまして、時間も金も吹っ飛びましたが、まあこれはこれで楽しかったですね。

すべて趣が異なっており優劣つけがたいですが、とくに「京都一人旅」は即興で行った割には非常に楽しめまして、この詳細は11月の「墨滴 第55回書道展号(仮)」で思う存分書こうと考えております。

 

さて、ここでは「ゼミ合宿」について若干書き連ねようと思います。

僕は、歴史学を専攻していまして、今年から「日本近世史ゼミ」に所属しています。

歴史学とは、過去の人々が残した「史料(古文書=こもんじょ)」をもとにその時代がいかなるものであったかを描き出す学問で、俗に「実証史学」とか「文献史学」などとも呼ばれています。

史料が残っていなければ論を組み立てることはできないので、例えば「聖徳太子はいなかった」というような言説は歴史学の対象にはなりえない。まあ、歴史学というのは「頑固」な学問なんですよ。

ですから「近世史(≒江戸時代)」を勉強・研究するにしても、近世文書を読めなければ意味が無いんです。

でもそれが本当に難しい。ぐにゃぐにゃとみみずのはったような文字で書かれるので、楷書体に慣れている現代人にとってそれを読めるようになるのは並大抵のことではありません。かろうじて文字が読めたとしても文体も今とは異なるので(候文)、解釈も簡単では無い。「ゼミ合宿」でひたすら古文書を読んでいく中で、以上のことを思い知らされました。

今回訪問したのは千葉県大多喜町というところですが、そこで江戸時代に代々名主(庄屋=村のトップ)を務めた家に残された文書を読んでいました。

僕が読んだ古文書の中でも印象的なものを一つ紹介します。

これ(冒頭の写真)は広げると10m近くもあるほど長い文書なのですが、表題には「乍恐以書附御訴訟奉申上候(恐れながら書附けを以て御訴訟申し上げ奉り候)」と書かれています。そしてその次には39人の百姓が連名でサインをしており、並々ならぬ思いで何かを訴え出ている様子が伺えます。

読み進めていくと、組頭(村のNo.2)を務める勘左衛門が立派な杉木を勝手に伐採するなど見るに耐えない悪行を行っているので、すぐに組頭を辞めさせたいと役所に願い出ている内容でした。

当時の日本には約6万もの村々が存在していたので、その数だけこのような豊かな歴史が存在していました。けっして彼らは日本史の教科書に載るような有名な人たちではありませんが、こうした名も無き人々によってかつての日本は支えられてきたのです。

古文書を読み解いていくとそのようなことが手にとるように見えてきます。

でもやっぱり難しいんですよね。

もうすぐ夏休みも終わりそうです、ああ勉強しなければ…。

 

さて途中からあまり万人受けしないようなマニアックな話をしてしまいました…すみません(笑)

今話題の映画「君の名は。」も、途中でストーリーががらりと変わりますしいいですよね(関係ない)

ちなみにこの映画、ほんとおすすめです。面白かったな~もう一回見たいくらいです。

…ということで長々と話してもあれなので、ここで筆をおきたいと思います。

こんな駄文を読んでくださり、ありがとうございました。

 

平成丙申年長月十日

細谷篤志