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新年度を迎えて思うこと

ついこの間咲き始めたと思ったら、あっという間に散ってしまった。ぱっと咲いて、一気に散りゆく桜。筆者には何とも儚い人生を写し取った造形物のように思えてならない。とりわけ日本人にとって桜は、出会いと別れの象徴として扱う向きがある。言うまでもなく、それぞれ3月に卒業式、4月に入学(社)式があるからだ。だがこれは決して万国共通ではない。たとえば、アメリカやイギリス、中国など世界的には9月始まりの国が多数派を占めている。では、なぜ日本では「年度」といえば4月に始まり3月に終わるのだろうか。新年度を迎えるにあたり、ふと筆者はそんなことを考えたわけである。

 

 年度といえどその種類は1つではない。10月始まりの「砂糖年度」や7月始まりの「酒造年度」など多岐にわたる。その中でも我々に浸透しているのが、4月始まりの「会計年度」であろう。わが国で会計年度が初めて制度化されたのは明治2年のこと。新しい時代を向かえ、近代国家の仲間入りを果たすべく、西欧諸国を模範として諸制度の整備を着実に進めていた頃である。財政の健全化をはかるためには、歳入と歳出の区分を整理して明確化するための期間が必要となる。そのことを知った政府要人らは早速この方式を取り入れた。

 

 しかし最初から4月始まりだったわけではなく、現在の形になった明治19年まで、都合4回の年度変更を余儀なくされた。その詳細についてはここでは触れないが、最終的に現在の形に変更された理由は、酒造税などの納税期に年度をあわせる必要があったためである。当時の明治政府の財政状況は、海軍拡充計画などの影響により逼迫していた。そこで本来翌年度に組み込むべき税収分を当該年度に入れるという苦肉の策を講じていたのだが、もはやそのやり方は破綻しており、年度を変更することで帳尻合わせをしたというわけである。これが現在まで130年以上続く会計年度の起源なのだという。我々を心新たな気持ちにさせてくれる桜。だがこの裏には、政治的なつじつま合わせがあったのだと思うと、何ともいえない気持ちになる今日この頃である。

 

 

 

平成丙申年卯月十日

 

細谷 篤志